楽しく儚い、我が人生。

 

街にクリスマスソングが流れはじめるこの季節。

年始に“今年こそはリアルも充実させよう!”と意気込んでいたわたしだか、今年最後の一月を切ってもその目標は達成されないまま、来年へと引き継がれようとしている。

それと同時に“今年もヲタクゴトは充実していたなぁ”なんて幸せを感じることもあり、毎年この季節はヲタクとしての幸せと恋愛に対しての自分の不甲斐なさが混濁とした中、一年を振り返ることが多い。

今年一年、合コンとやらで遣ったお金であと何回コンサート入れたかななんていけないことを計算しているわたしはもうしばらくリア充とは疎遠であろうと自分でも確信している。


 

相変わらずわたしのフェイスブックは彼氏とディズニーやら、イルミネーションだとかでとても華やいでいて地底で生活するわたしには少し眩しいし、心が痛いし、羨ましい。

そんなダメージを受けることがわかっているにも関わらず、わたしはフェイスブックをやめることはない。

自分のフェイスブックのステータスに“交際中”の記載するのが近い未来のわたしの目標で、それまではリア充たちの攻撃にも負けずに戦い抜いていこうと意気込んでいる。

 

 

さて、 わたしは本当に物心ついたころからヲタクだった。

だから、この趣味を失ったらどういう風に生活していけばいいのか。もっというと社会とどう関わってどう息をしていくのかさえわからないような気がする。

しかし、ヲタクながらも四半世紀以上生きているわたしなので、何個かリア充を手に入れるチャンスは落ちていたはずだ。どこで拾い損ねたのだろう。

ヲタクになった当時を思い出し、そこから遡って自分を考察してみたいと思う。

 

(こちらはただの一個人のヲタクブログであり、先記事と同じくわたしと周囲10メートル以内のヲタクのことを参考に記事を書いています。あくまで個人の意見と体験であり、一つの例です。引き続き、誹謗、中傷はご遠慮ください。)

 

小学生時代

わたしがこの世界に足を踏み込んだのは小学生の時である。

たまたまテレビに出ていたアイドルがかっこよく、それを両親の前でなにげなくつぶやいたのがきっかけだったと思う。

ある日会社帰りの父が立ち寄った本屋で某アイドル誌をお土産に買ってきた。

それまでテレビでの姿しかわからなかった彼が、アイドル誌ではあんなことも、こんなことにも答えていた。テレビとは違った一面だった。

なんだか知らない彼のプライベートに触れたような気がして、胸が高鳴った。

世は一応平成という年号であったが、今のようにインターネットは普及していない。

そこまで男性アイドルに対して世間の注目もなかったように思える。

だからこそ、少ないページながら彼の情報を確実に手に入れられる媒体は雑誌がダントツにその役割をなしていたような気がする。

こうしてわたしは“りぼん”や“なかよし”と共に毎月アイドル誌を買うことに手を染め始めるのだ。

 

そして小学6年生のときに転機が訪れる。

毎年七夕の短冊に“アイドルに会いたい”と記す娘を不憫に思ったのか、母が初めてコンサートに連れて行ってくれた。

どうやって母がチケットを取れたのか記憶が曖昧なのだが、当時はファンクラブに入ってなくてもロッピーなんかでチケットが取れた気がする。

 

とにもかくにも、わたしは小学校時代の全てを捧げた彼に会うことができたのだ。

そのときの興奮と破裂しそうなほどの胸の鼓動は今でも忘れることができない。

 

初めてブラウン管や誌面越しではない、生のアイドルをみた。

本当に存在してた。実は心のどこかで彼はこの世に存在していることが信じられなかったわたしにとってこれは革命だった。

彼もわたしと一緒の臓器がある人間なんだ。

性別は違えど、大きな意味でまとめると同じ哺乳類で人類で、同じ地球上で同じように息して同じくご飯食べて生きているんだと思った。

ある意味この瞬間わたしは初めてアイドルと現実世界を結びつけることができた。

そして、同時にアイドルと自分の距離を知った。

ステージと客席という物理的な距離は幼いわたしにとってアイドルは触れてはいけない遠い遠い存在なんだということを改めて痛感させるものとなった。

 

中学時代

アイドルとの距離を知ったわたしだったが、落ち込むどころか開き直ってアイドルを応援することにした。相手はわたしのことは知らない、だったら思う存分だれにも気兼ねなく応援できると勘違いしていったのだ。机にアイドルとのアイアイ傘を書き、お手製のアイドルの下敷きを作って学校に持参し使っていた。そのうち担当も世間にだんだんと浸透し始め、“わたし=アイドルが好きな人”の方程式がクラス中、いや学年中に広まることとなる。

お恥ずかしい話だが、10年以上前に中学を卒業したのに、いまだに中学の友達にはこのヲタクイメージが強いらしく、会うたびにネタにされる。

“ほんと、大人になって現実に戻ってきてくれてよかったよ~”なんていわれるが、正確にはあのころとなにもかわっていない。むしろ自由に動かせるお金ができた分、余計にこじらせている。しかし友達の心底安心した顔をみると否定はできない。…でも肯定もしない。あえていわないことがわたしが彼女にできる最大の気遣いだと思う。

 

高校時代

なんとなく割りと華やかな高校に入学した。男女共に仲がよく、恋だの、愛だのに溢れる高校にきてしまった。…もちろんわたしも全く期待しなかったわけではない。

色気づいたわたしは、“ヲタクは辞めないけど、隠しつつ生活をする”という今のパターンに生活スタイルを変更した。常にヲタクというフィルター越しに自分を見られることになんだか違和感を感じたからだ。

そのほうがなにかと得もあるのではないかと自分なりに計算し、決めた結果だった。ま、それなりに弊害もあったのだが。

しかし、ここで転機がまた訪れる。

バックで踊る名前もわからないアイドルに心を奪われてしまい、幼いころからあんなに大好きだったアイドルから担降りしてしまうのである。

“彼の背が小さいのは顔に栄養がとられてしまったからだ!”なんて担当を盲目的愛し、応援し、認めたくないが人生で一番狂っていた。

 

 

丁度そのころ携帯が爆発的に普及。さらにパケポが登場し、気軽かつ迅速に情報が得られるようになった。

所謂、ヲタ友も作りやすくなり、活動にも拍車がかかり、趣味を語って共感してくれる人の数が急激に増えた。ブログやメルマガが流行、ヲタクたちの情報の主な収集源となりヲタク市場を潤す。これに乗らない手はないといわんばかりにバイトのお金を全てヲタクに費やした。わき目も振らず、ヲタク生活に全てを注いだ。

 

一方で現実のほうでも同級生のあの人がイケメンだとか、好きだとかできゃーきゃー騒いでいた。サッカーする姿を放課後教室の窓からのぞいたり、渡り廊下で話しかけられたとか、席が隣になったとかで一般的なときめきも手にいれていたような気がする。

しかし“彼に告白しないの?”と友達に言われたとき、なにか基本が違うと思った。

彼はアイドルではないが、わたし的にはアイドルを好きだというような気持ちで好きだといっているのだ。ミーハーな気持ちで彼のファンになっているだけなのだ、と。

このあたりからわたしは周りの子が言う“好き”という気持ちと自分は思う“好き”が全くの別ものだということに薄々気がつき始める。

随分現実と離れたところに来ちゃったななんて暢気に思いながらも、このときのわたしはこのことが後々招く大変さにまったく気づいていなかったのである。

 

大学時代

高校生のときのわたしは、大学生になったら普通にオレンジデイズみたいな生活ができると思っていた。大きな段々になっている教室で男女が楽しそうに勉強に恋に明け暮れる日々が待っていると…。

しかしわたしはうっかり女子大に進学してしまった。

わたしの思い描いていたオレンジデイズははかなく消え、同じ敷地内にあった共学の校舎から楽しそうに出てくるカップルを指を咥えてバルコニーからみている生活に突入した。

その一方で高校時代より時間の融通が利くようになったわたしのヲタク活動はさらに深刻化していった。都内の大学に進出したこともあり、フットワーク軽く活動できる定期と共に活動できるヲタク友達を手に入れた。

大学時代は常にヲタクのことしか考えてなかった。いや考えられなかった。

全てをヲタク中心でまわし、ヲタ費用を捻出するため身を粉にして働いた。

バイトのシフトが1ヶ月前まで提出だったのでヲタクゴト以外はバイトをできるだけいれるようにシフトを組んでいた。

よって、飲み会などにも気軽に参加できず、恋の波にも乗り遅れた。

このころから段々と自分がリア充になることの難しさを痛感してくるようになる。

 

社会人になりまして

 

大学生のときのわたしは会社に入ったら普通にホタルノヒカリみたいな生活ができると思っていた。就職すれば勝手にマコトくんやぶちょおがついてくるのだと信じていた。

 

しかしわたしはうっかりお堅い職場に入社してしまった。

 

小さな支店に配属されたわたしに出会いなどはなく、ただ必死に毎日を過ごしていた。

…いや、違う。出会いなどないと決め付けていたのは自分だけだった。

同じ支店に配属された同期同士が結婚した。同じスタートラインで同じ環境で同じ仕事をしていた同期が結婚した。衝撃だった。わたしには浮いた話の一つもないのに。

そのころのわたしは仕事のなかにヲタク時間をいかに組み込むかということに必死になっていた。一番削れるのは睡眠だったので毎日夜更かしをし、朝起きるということがかなりの苦痛になってきていた。

もはや朝起きてからいかに俊敏に支度を済ませ、家をでるかに命を懸けていた。

当時長かった髪も朝からアイロンで整えることが難いという理由で、ショートにした。すっぴんめがねで出社したことも一度や二度ではないし、とにかく、とにかく女を捨てていた。

これはヲタクのせいではなく、明らかに自分の堕落した生活のせいだということに気づいたときわたしは泣いた。彼氏や旦那うんぬん以前の問題で、まず日常生活もまともに送れないようなわたしがヲタクであることが許されるのだろうかと本気になって考えた。

それからわたしは少し現実を見るということの重要性を認識し始めた。

でもヲタクは辞められない。

会社で怒られても、友達といやなことがあってもアイドルはわたしの全てを受け入れ癒してくれる。わたしにとってアイドルはそういうかけがえのないツールなのである。

 

 

 

 

わたしは異性との距離間がいまだにうまくつかめない。

アイドルはあらかじめ距離の設定が決まっているからそこまでは自己調節ができるけど、現実世界になるといっきにどうしていいのかわからなくなる。

相手の懐に入っていいものか、それともいけないのか。

自分の懐にはどの程度相手が入ってくるのか。

仲良くなればなるほどそれがわからなくてもやもやしているうちにチャンスを掴み損ねる。

歳を重ねてるからこそ今更?と思われるようなこともわたしにとっては今更でなく一大事件だ。

 

初めから友達だと認識した異性には懐くのに、本命には話しかけることすらできない。

コンサートにはあんなにかわいい格好で挑むのに合コンでは気恥ずかしくてスカートすら履けない。

アラサーになってからも周りの男友達に“ウブだ、ウブだ”とからかわれ続けるわたしは自分でもこの件に関しては良い打開策が見つからず、樹海をさまよっている感が否めない。

早く脱出しなければ、その先はない。

 

学生のころ理想のタイプを聞かれると、“白くて細くて長くてメガネが似合う人”と豪語していたわたしだが、いつのまにかそれは“優しい人”になり、さらに“ちゃんと働いている人”に変わった。最近では“犯罪を犯してない人”としかいえなくなったわたしは自分の限界を悟ったのだと思う。

 

今はたくさんあるかもしれない合コンだが、合コンは決して無限ではない。

友達が付き合った、結婚したうんぬんで確実にメンバーも減る。

幹事をしてくれていた子もいずれは結婚し、合コンは開催されなくなってゆく。

いくつものチャンスを掴み損ねたわたしだから言えることだが、確実に世間の目はだんだん冷たくなっていく。

逃げようとしても現実は猛スピードで追いかけてくる。

アラサーの体力ではすぐに追いつかれる。現実からは逃れられない。

 感じたくないけどこれは紛れもない事実だ。

 

アイドルを好きになって後悔したことはない。

むしろなにもなかったかもしれないわたしの人生に甘辛いスパイスを加えてくれたということに感謝している。後悔しているのはうまく自分の私生活を組み立てることができなかった自分自身にだ。

もちろんアイドルはヲタクの人生に責任はとってくれない。

 

アイドルを好きになったころの自分はこの歳になってもアイドルを追っかけているなんて想像もしていないだろう。

 

 ヲタクとリア充は必ずしも表裏一体ではない。

現実に両立している人がたくさんいることも知っている。

わざわざ“普通の女の子の戻ります”とペンライトを置いて引退する必要もない。

両方手に入れることが不可能でないからこそ、わたしは欲張りにリア充も手に入れたいと最近ようやく思えるようになった。

 

そのわがままを叶えるためには、もっと努力と根性が必要だと思うのだが、すでにわたしの脳内は年末年始のヲタク活動でいっぱいなのであった……。

来年こそは頑張ろう……。孤独死だけはしたくない……。